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近江商人と長浜商人
役員・沿革
  近江商人と長浜商人  
11.浄財を教育、福祉、社寺に
滋賀県は近江商人の発祥地であることが災いして、明治以降教育を軽視する伝統が強かった。教育をつけて役人やサラリーマンになるより丁稚(でっち)から叩き上げて実業家になる方が出世の近道だという考えが強かったからだが、下郷は、これを強く否定して教育こそこれからの日本を背負う人材作りの要(かなめ)であると力説した。

滋賀県初の滋賀県商業学校が明治19年大津に創立し、後八商(八幡商業)になったことは、既に児玉一造、伊藤忠兵衛の項で述べたが、同校創立にあたっては、当時の知事中井弘を助け下郷ら財界人が発起して創設に参画した。下郷は反対する実業家に商業教育の重要性を説き、その早期開校に助力した。その熱意と見識がかわれて、明治26年、同校内に設けられていた近江尚商会の会頭に推されている。近江尚商会は近江商人を誇りとし、それを育てる意味の八商の後援会的性格を持ち多くの近江商人が名を連ねた。その他、彼は学費に事欠くため大学へ進学できぬ者のため学費を援助し、有能なる人材を東大、早大、慶応大へ入れた。

下郷は教育だけでなく、毎年のように各方面に多額の寄付や災害救援を行っているが、彼の人柄を思わせるのは日赤に対する寄付であろう。彼は明治22年、毎年100円あて10ヵ年で1000円の寄付を申し出たが、彼はその後、これを取り消し、これに代わって生涯毎年100円を寄付すると申し出ている。彼の死後も二代目傳平によってその遺志が生かされた。
彼の事前活動や公共への寄付行為は数知れず、明治5年11月と明治8年8月の長浜町の大火における救援活動に対しては県知事から感謝状が出ている。また、明治6年の皇居の火災における献金については、宮内省から木杯が贈られている。

この他明治18年の大阪府下の洪水、長浜町の洪水には被災者救助で大阪府知事、滋賀県知事から賞を贈られている。明治19年には長浜戸長役場の建築に、長浜避病院設立(隔離病棟の旧呼称)に同20年には多賀の県道改修に、同23年には長浜警察署官舎建築費、同29年には三陸地方の津波の救済に、それぞれ献金して関係当局から感謝状を受けている。

また、神社仏閣や地元への寄付も惜しむことなく浄財を出している。その主なものは多賀神社、連華寺、比叡山延暦寺、尚武会(武徳会)京都平安遷都1100年祭、大通寺、八幡宮、豊国神社、開知学校などがあり、地元の朝日橋は建設費も完成祝いも彼の寄付で行われた。
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12.近江新報と初の国会議員
下郷は明治23年国会開設の年、県下唯一人の貴族院議員に当選したが、その前年の同22年、後の滋賀県政界に多大の影響をもつ近江新報が創立した。国会開設にあたり有能な議員を選出することを目的に時の知事・中井桜州を呼びかけ人に、有力な近江商人20数人が7000円を出資して明治22年2月21日の紀元節に第一号を発刊した。
主な出資者は、相馬永胤、弘世勘三郎、下郷傳平、西川貞二郎、阿部市郎兵衛、小泉新助、など関西に聞こえた大物ばかりだった。近江新報による世論啓発とリーダーシップが効を奏して明治23年の第一回の衆議院選は第一区杉浦重剛、第二区山崎友和、第三区大東義徹、伊庭貞剛、第四区相馬永胤の5人が当選し、下郷は貴族院議員に選ばれた。

近江商人が積極的に関わった第一回の国会議員選挙であり、歴史的な5人の衆議院議員を簡単に列記しておく。
●杉浦重剛(1855〜1924年)大学南校(東大)卒、号は梅怒。
  読売、朝日の社説を書き、私塾称好塾で子弟を養成。東京文学院を設立、東亜同文書院院長、日本中学校長など教育
  に力を注ぎ、大正13年(1924年)東宮御学問所御用掛となり、後の昭和天皇に倫理科を進講した。
●山崎友親、自由党に所属
●大東義徹(1842〜1905年)彦根藩士出身、藩校弘道館に学ぶ。維新後、司法省の少判事。
  西郷隆盛の知遇を得て西南戦争で西郷軍に加わる。敗れて一時獄中生活を送った。
  1898年大隈板垣内閣で司法大臣(戦前の滋賀県出身の唯一の大臣)
●伊庭貞剛(1847〜1926年)神官の長男、住友財閥の総師・広瀬宰平(野州郡)の甥、住友家総理事。
  大阪商船学校長、大阪商業(大阪市立大)校長。
●相馬永胤(1850〜1924年)彦根藩士出身、安井息軒に学び米国留学後判事となる。
  後、東京専修学校(専修大)の創立に参画、横浜正金銀行頭取を経て明治39年専修大学長。

近江新報社は宮脇剛三が初代社長だったが、明治24年、下郷の推薦で入社した東浅井郡中浜(びわ町)の西川太治郎が後に社長兼主筆となって活躍した。太治郎の父は太右衛門で庄屋・黒右衛門の出で、現在の西川満、西川隆夫と同家筋。下郷の支援で近江新報入りした西川太治郎は後に大津町長となっている。
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