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近江商人と長浜商人
役員・沿革
  近江商人と長浜商人  
7.外国進出と近江鉄道
下郷は外国貿易についても一歩先んじていた。明治29年、彼が社長として創業した内外物産貿易(株)は、外国及び日本の商品の見本市、商品の輸出入、内外商品の受託販売、内外他社の代理店業など画期的な営業活動で注目された。本店を神戸に、支店を大阪、ニューヨーク、ロンドンに設け、ドイツ、ベルギー、アメリカ、インド、中国など8箇所を開設した。

下郷が参画した会社で特筆されるのは近江鉄道(株)である。同社は明治時代、滋賀県下における唯一の私鉄であって、国鉄彦根駅を起点に高宮、愛知川、八日市、桜川、日野、水口を経て関西鉄道の貴生川駅に連結することにして、明治26年(1893年)、時の逓信大臣黒田清隆に設立願届を出し、翌27年仮免許が降りた。発起人代表は日野の豪商中井源三郎で大部分の発起人は沿線の各長の有力財界人だった。

明治28年から株式の募集を始めたが、大変な人気で株式申込み用紙がプレミアム付きで売買されたほどであった。沿線ではなかったが、長浜の下郷と能登川の阿部市郎兵衛が大株主として、設立当時の重役に就任している。社長は元彦根藩士で衆議院議員・大東義徹、専務は日野商人・中井源三郎、他の重役で有名なのは正野玄三(日野商人・製菓)、小林吟右衛門(愛知郡豊掠村)ら。設立後、鉄道敷設に入った。同社は明治35年後ごろ創業期に入ったが、そのころは能登川の阿部市三郎(大阪硫曹社長)が社長になっている。同社は湖東、湖南の交通動脈として期待されたものの利用者が少なく経営は容易ではなかった。遂に大正15年(1926年)宇治川水力電気に合併された後、戦争中の昭和17年(1942年)滋賀県出身堤康次郎(衆議院議員・西武社長)に買収された。

これらの他、下郷が重役として経営に関わった会社に長浜貯金銀行、近江銀行、日本貿易倉庫、大阪鉄道、日本樟脳、日本紙類貿易、西陣撚糸再整の各社がある。
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8.多額納税貴族院議員に当選
下郷傳平は明治23年、日本で初めて国会が開設された年、滋賀県選出の唯一人の貴族院議員に当選している。
彼は多額納税者議員互選資格者によって選ばれたわけだが、当時の互選者の定員は各府県とも15名だった。
各府県の最高納税者15人が1人の貴族院議員を互選する制度であった。この他に勅選議員と華族選出議員があった。
明治23年の第1回の多額納税者貴族院議員選挙結果は次の通りだった。
当7票  下郷傳平(長浜)
 5票  外村宇兵衛(五箇荘)
 1票  小林吟右衛門(愛知)
 1票  河路重平(長浜)
 1票  棄権
ちなみに多額納税議員を選出する有資格者(多額納税者)は15名で全国一律。
明治23年4月1日現在の県下の納税長者ベスト15が貴族院議員1名を互選する制度だが、この時の滋賀県の納税長者は外村宇兵衛がトップ、下郷が2位である。その当時は地租(土地所有に対する税)と所得税を合計したものを納税総額としている。15人はいずれも傑出した近江商人であるが、土地の保有高や事業所得の状況がわかる好史料なので紹介する。

貴族院議員任命 県下初の貴族院議員になった下郷のため、地元長浜では、明治23年11月5日、大通寺の新座敷で祝賀と東京行きの送別の宴を開いた。
その時の出席者に対して下郷が礼状を送っているが、その一覧表から当時の長浜及び近辺の有力者をうかがうことが出来る。

参考のためにその氏名を挙げておく
(元長浜町長・青木吉蔵の保管史料による。)
高原一義、横田政之慎、落合幸平、浅見義隆、池野丹蔵、大濱太郎兵衛、横田久彌、伊藤玄彌、國友藤平、吉田孫太郎、川瀬兵内、草野権次郎、日比久太郎、石居四郎平、淵元八郎平、吉田治平、尾坂六郎、吉田長作、西川徳重郎、西川儀平、岡本勇次郎、加藤和三郎、下村耕作、桐田謙吉、河路重平。
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