鐘秀館
免責事項  
home
更新履歴
所在地・アクセス
事業目的及び活動
文化財公開
大学、博物館、教育関係の皆様へ
近江商人と長浜商人
役員・沿革
  近江商人と長浜商人  
下郷共済会創成の頃
押谷盛利著「近江商人と長浜商人」(滋賀夕刊連載)より抜粋
巻頭言 著者押谷盛利
私は、近年、近江商人が脚光を浴び出したにも拘らず、なぜか長浜出身の近江商人が忘れられていることを残念に思っていた。たまたま郷土史と長浜商人に関心の深い大塚誠次郎前大塚産業社長(故人)から長浜商人の顕彰について有益な御意見を戴いた。それを契機に「近江商人と長浜商人」を執筆したのは、1994(平成6)年8月19日から翌年12月1日まで約1年4ケ月の長期にわたる。
各方面からの膨大な資料や文献などを基礎に広く取材したが、後段に入って下郷傳平にいきつくや、私の脳裡に衝撃的な驚きが走った。下郷傳平という巨像に立ちすくむ思いで、しみじみとその56歳の生涯にひれ伏す思いであった。

初代下郷傳平は「明治以降における近江商人としては、伊藤忠商事や丸紅の創業者である伊藤忠兵衛と双壁ともいうべき豪商であり、偉人である」と確信するようになったが、不思議なことに、この二人は生まれが同じ1842年(天保13年)である。
伊藤忠兵衛は商事会社を中心に、貿易に手を伸ばし、今でいう流通業界に巨歩を進めたが、下郷傳平は、商社のほか、銀行、製紙、製糸、電力、鉄道、その他多方面に社長または重役として、晩年には貴族院議員として活躍した。

下郷傳平は、4桁の計算を暗算できたから算盤より正確で早かったといい、記憶力抜群で、新聞の切り抜きが不必要なほどニュースの年月日を知っていた。彼の特筆すべき功績は、公共のために惜しみなく財を拠出したことである。
例えば明治22年、当時の金で年100円を毎年日赤に寄付することを申し出て、途中、それを生涯続けると変更し、死後も二代目によって実践された。明治初期、滋賀県庁設立に際しては、破格ともいうべき1,000円を寄付した。次の多額寄付500円の2倍という金離れのよさである。このほか、滋賀県初の滋賀商業高校(八幡商業の前身)の設立を初め、県下の教育、福祉に、あるいは各方面の神社仏閣等に多大の浄財を寄進した。
明治18年の大阪府下の洪水、明治29年の三陸地方津波救済のほか、地元の長浜では役場の建築、避病院(隔離病棟の旧呼称)の設立、警察署の建築、県道改修、河川改修、橋梁新設などに率先して資金を提供している。

彼の死後、2代目下郷傳平によって下郷共済会及び博物館と美術館を兼ねた鍾秀館や図書館が設立された。
初代の遺志を実践したもので、戦後の混乱をへて平成13年4月現在の理事長4代目下郷傳平はじめ新理事により新鐘秀館を長浜駅前に再建開設されたのは、初代の近江商人の遣徳を偲ぶよすがとして意義深いことである。



目次  
1.初代下郷傳平の生い立ちと苦労 12.近江新報と初の国会議員
2.商売熱心な傳平と骨董 13.琵琶湖疎水と大津・下郷邸
3.傳平の借金申し込みの手紙 14.県庁と湖北町山田家文書
4.相場師傳平と妻みつ 15.津田三蔵の大津事変と傳平
5.相場師から会社経営へ 16.坂田、東浅井の合併話と傳平
6.関西財界で活躍する傳平 17.月末の支払いと遊び人
7.外国進出と近江鉄道 18.初代の死と二代目傳平
8.多額納税貴族院議員に当選 19.図書館、博物館の建設
9.明治23年の納税長者15名 20.趣味豊かな文化人
10.私費による長浜小学校建設申し入れ 21.二代目と清流亭、その人脈
11.浄財を教育、福祉、社寺に 22.謙信と信玄、下郷と浅見
  ●著書紹介
次へ


トップへ

戻る
 
   
All contents copyright (C)2002-2006 Shimogo Kyosaikai FD/Allrights reserved.