浅井氏の居城であった小谷城清水谷にあった徳昌(勝)寺、坂田郡堀部村(長浜市堀部町)の医王寺、美濃国不破郡岩手村(現在の垂井町岩手)の禅幢寺(ぜんどうじ)で、授戒(仏教門徒として生活規範を守ることを誓約すること)を受けた者480人の名簿である。複数の寺での授戒者の記録が1冊となっているのは、戒を授けた僧侶が同一人物であったためであろう。
時代は天文4年(1535)から慶長14年(1609)まで続くが、全20丁(表紙を除く)の内、15丁が天文年間(1532〜55)の記録である。受戒者のほとんどが女性で、上下2段に別れて記されており、上部に戒名、下部に夫や父の名前が記されている。
中には、浅井亮政の正室である「蔵屋」の名前もある。特に徳昌寺での授戒は、浅井一族・家臣の子女が多く、浅井氏親族・家臣団研究の基本資料となっている。
【天文4年(1535)〜慶長14年(1609) 縦23.9cm×横18.0cm】
伊勢神宮の祭主家を代々世襲した藤波家に伝来した「藤波文書」中の1通。祭主は大神宮司の上にあって、社務を統括したが、伊勢国に居住している時期と、京都に居住している時期があった。ここに展示した文書が出された時期は、京都にいたと考えられる。
本書は、織田信長の次男・信雄(1558〜1630)が、正月の祝儀に祈祷札と帯5本を、伊勢神宮から贈られたことへの礼状である。信雄は伊勢国の国司・北畠具教の養子となり、天正3年(1575)以降伊勢国を支配したので、伊勢神宮とは特別な関係があったものと考えられる。信雄は賤ヶ岳合戦では秀吉と同盟を組み、弟の信孝(信長三男)を攻撃するなど、近江の戦国史にも影響を与えた人物である。
【天正3年(1575)〜天正18年(1590) 縦29.0cm×横45.3cm】
浅井長政像
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徳勝寺授戒帳
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織田信雄書状 祭主権副宛
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蒲生氏郷書状 祭主権太副宛
六角義賢書状 祭主二位宛
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豊島作右衛門書状 山甚七宛
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