嘉禄3年4月10日条(広橋文書 巻23 1巻の内)2枚
『民経記』は鎌倉時代中期の公卿、権中納言・藤原経光の日記である。経光が晩年に民部卿に任じられたことから、その子孫らが「民部卿経光日記」を略してこう呼ぶようになった。経光の父・頼資を初代とする広橋家は、初めと号したが、室町時代に至り広橋家を名乗るようになる。公卿としては「 中流の上 」で朝廷の事務機構の中枢にあって活躍することが多かった。また、室町・江戸時代を通じて、武家政権との連絡役を担当する武家伝奏となった者も多かった。
その中世史料である「広橋文書」の主要部分は広橋家から流失し、三菱の岩崎家収集資料を収めた東洋文庫を経て、現在は国立歴史民俗博物館に収蔵されている。下郷共済会にはその「広橋文書」の一部が、湖北町の南部文庫を経由して所蔵されており、その点数は巻子35巻に及ぶ。今回展示する『民経記』は天皇綸旨や室町将軍御判御教書を含むこの「広橋文書 」35巻中の2巻として下郷共済会に伝来したものである。
なお、『民経記 』の記事残存分は、嘉禄2年(1226 )より文永9年(1272)までであるが、欠落部分も多い。国立歴史民俗博物館所蔵の自筆本は、重要文化財に指定されている。
下郷共済会本「広橋文書」の巻29には、23点に及ぶ日記断簡が収納されているが、その2番目に『民経記』嘉禄3年(1227)10月4日条が収められている。経光弱冠15歳の書であるこの部分は、国立歴史民俗博物館本の周辺月日の書体と比較して、経光の自筆と考えられる。記事内容は、この日に行われた官人の辞令交付式であるの内容が記され、官名と人名が列挙されている。
一方、「広橋文書」巻23には5点の日記断簡が収められているが、その内2点が『民経記』の一部を筆写したものと確認されている。嘉禄3年4月10日条が二つに分割されており、記事内容は4月13日・14日に行なわれる予定の大臣拝賀式への参列を、経光が命じられた文書を写し取った部分である。
特に、巻29は重要文化財となっている『民経記』の自筆部分の一部であり、鎌倉時代の日本の政治史を考える上での貴重な記録と言える。
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