建仁3年12月記 1巻
『明月記』は、『新古今和歌集』の撰者として知られる藤原定家の日記である。定家は 19歳の治承4年(1180)から、80歳で 没する仁治2年(1241)まで 日記を記したが、写などを含めて記述内容が現存しているのは、定家74歳の嘉禎元年(1235 )までである。ただし、その56年間すべて記事が残っている訳ではなく、欠けている部分も多い。
定家の流れをくむ冷泉家(冷泉家時雨亭文庫)では、その内31歳の建久3年(1192)から、72歳の天福元年(1233)までの清書本が残存する。その数は、58巻と掛軸1幅、それに附属指定となっている巻子2巻で、すべてが平成12年に国宝に指定された。通常、『明月記』は「めいげつき」と読まれるが、冷泉家では「めいげっき」と発音している。
今回展示する下郷共済会の所蔵本は、その内の1ケ月分で、備前岡山藩池田家を介して、大正14年に 財団の所有に帰したものである。冷泉家からは、早い段階で流失したようで、国宝附属指定分の1巻は、この下郷共済会本か当時の流布本を、明和4年(1767)に写したものである。すなわち、建仁3年(1203 )12月分の『明月記』は、原本が下郷共済会にあり、写が冷泉家にあるという状態になっている。文字は定家自筆、または定家の強い監督下で、右筆によって記されたものである。下郷共済会本は、典型的な定家様の書体で記されており、その書風は小堀遠州など後世の書家に多大なる影響を与えた。建仁3年12月の記事には、日本史上の大事件は見えないが、後鳥羽上皇の宇治行幸や、市内の火災・疫病の状況、それに参内した定家の日常生活が読みとれる。
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