有栖川宮熾仁親王
(ありすがわのみや たるひとしんのう 1835-1895)
幕末、尊攘派に立ち、王政復古後は総裁職に就任。戊辰戦争では東征大総督として官軍を率いる。
緯新後は兵部卿、福岡藩知事、元老院議官、参謀総長などを歴任。
岩倉具視
(いわくら ともみ1825-1883)
公武合体派の公家として活動するも、文久2年.(1862)に謹慎を命ぜられる。
後に明治天皇によって許されると、王取復古を実現し、以後維新政権の中心人物として活躍。
大久保利通
(おおくぼ としみち1830-1878)
薩摩藩出身。通称一蔵。幕末に西郷隆盛とともに公武合体策を推進。
その後倒幕運動に転じ、維新政権樹立後は参与、参議として新国家建設に尽力。
明治11年に暗殺さる。
岩下方平
(いわした まさひら1827-1900)
薩摩の上級藩士。通称佐治(次)右衛門。
幕末に水戸藩と共に井伊直弼による幕政打倒をはかるも挫折。
慶応元年(1865)薩摩藩家老就任・維新後は政府官僚として活躍。
和宮親子内親王
(かずのみや ちかこないしんのう1846-1877)
6歳で熾仁親王と婚約するも、公武合体策推進のために文久2年(1862)第十四代将軍徳川家茂に降嫁。
家茂死後静寛院宮と号し官軍の江戸攻撃回避などに力を尽くす。
西郷隆盛
(さいごう たかもり1827-1877)
薩摩藩出身。通祢吉之助。
討幕運勤の指導者として薩長同盟や王政復古、戊辰戦争などを遂行。維新政権の参与となるも征韓論に破れて下野。
明治4年西南戦争で戦死。
橋本実梁
(はしもと さねやなi834-1885)
左近衛中将小倉輔季男橋本実麗の養嗣子。
幕末に尊王攘夷派の公卿として活躍し戊辰戦争では東海道先鋒総督として官軍を指揮。
明治3年に従三位。皇女和宮の外戚。
橋本家は第十六代実麓(さねあきら)の代に幕末維新を迎えるが、実麗は子息實梁(さねやな)と共に尊王攘夷派の公卿として活躍するも、文久3年(1863)に起こった8月18日の政変によって一時期、宮中参内を止められてしまう。
その後実麗は情勢の変化とともに許され、慶応3年(1867)に正二位権大納言に昇り、また実梁は東海道先鋒総督として奮戦する。
・橋本実梁御歌『遠山紅葉』 縦34.2cm×横45.6cm
・橋本実梁御書『坐聴松虚』 縦35.5cm ×横95.3cm
・有栖川宮熾仁親王御歌『名所山郭公』
縦17.8cm×横50.2cm
・有栖川宮熾仁親王書状正二位殿(橋本実麗)宛 縦16.8cm×横36.7cm
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