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慶応3年(1867)12月に出された王政復古の大号令は、武家政権の崩壊と明治維新の幕開けを告げる時代の転機であった。しかし、当時の日本の情勢は険しくひとつ間違えば列強の植民地として侵略・分断されてしまう危険性を常にはらんでいた。
「王政復古通告国書按」は、そうしたぎりぎりの状況の中で発行された、
「日本国天皇、諸外国帝王およびその臣人に告ぐ。さきに徳川慶喜政権を帰さんとことを請う。制して之をゆるし、内外政事は之を親裁す。
すなわち曰く、従前の条約、大君の名称を用うといえども、今より後はまさに天皇の称を以って換うべし。而して諸外国交接の職、専ら有司等に命ず。各国公使、その旨諒知せしめよ。 睦仁 御璽」
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